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LiV × LiVEs Part4:鐘崎漁港の若手漁師 宗岡さんと権田さん

執行 沙恵

LiV × LiVEs  Part4:鐘崎漁港の若手漁師 宗岡さんと権田さん

月に一度、さまざまな一次産業に関係する人たちとカウンター越しに語り合うLiV×LiVEs(リヴ×ライブ)。毎月変わる一夜店長。普段なかなか知り合う機会のない彼らが、どんなことを思い、どんな仕事をしているのか、生の声を酒の肴に交流を楽しむイベントです。

 

4回目の店長は若手漁師、宗岡健一さんと権田幸祐さん

4回目のLiV×LiVEsは4月28日、長期GWのあたまに開催しました。一夜店長は保育士免許をもつ宗岡さんと、漁師でありながら雄弁な権田さんのお二人です。

海の幸に恵まれた宗像ですが、その根底を担っている漁師の現状は予想以上に深刻です。参加できた方もできなかった方も、この記事を読んでその現状に少しでも興味をもっていただけたら嬉しいです!

 

本日のドリンクとお通し

「鯛とブリの漬け」と「海人ウォーター」

 

本日のオリジナルドリンクは「海人ウォーター」日本酒「沖ノ島」をトニックウォーターとレモン果汁で割ったシンプル爽やかなカクテルです。見た目が「水」なのでごくごく飲めてしまう危険な飲み物(笑)。そしてお通しは2種類。厚い切り身に絶妙な和風ゴマダレが絡んだ「鯛とブリの漬け」と、醤油の香りが食欲を誘う「イカとブリの白子の煮物」

「イカとブリの白子の煮物」

 

煮物にはマヨネーズを添えるのが漁師風ということで、たっぷりマヨネーズと食べていただくとますます絶品でした!みなさんドリンクとお通しをいただきながらあちこちで話の花が咲きます。

 

若手漁師のお二人

ふたりは同郷の幼馴染(左:権田さん、右:宗岡さん)

 

彼らは今年35歳。権田さんは漁師歴19年目。宗岡さんが船長を務める共進丸の機関長をしています。宗岡さんは漁師歴13年目。その若さで共進丸の船長を務め、乗組員、炊き出しの女性陣、魚の選別をする選り方(えりかた)さん、トラック運転手など40人の従業員を束ねる水産会社の代表です。

先祖代々漁師家系を継ぐお二人ですが、漁師になるまでにはそれぞれのエピソードがありました。

 

権田幸祐さんの場合

権田さんが漁師になったのは16歳のとき。親からは「漁師にはならんでよか」と言われ、自身も漁師になりたくないと思っていたそうですが、あることがきっかけで漁師になると決めます。権田さんの漁師デビュー話はご本人の書き下ろし宗像市NPOセンターが発行している「ふらぐ」にコラムとして掲載されているので、こちらをご覧ください!

>権田さんコラム 宗像海人航海日誌「僕の漁師デビュー」

 

宗岡健一さんの場合

宗岡さんの家系も先祖代々巻き網漁の網元。「小さいころ船に乗せてもらい、近くで父や一緒に漁に出る近所のおいちゃんたちの姿を見ていてカッコいいなぁとは思っていたものの、工業高校を出て一般の企業に就職しようと思っていました。漁師になる気はなかったですね」。そして高校生のときに姪っ子ができ、面倒をみていると、子どもが好きだという気持ちが芽生えたそう。「こういうことをしてお金がもらえるなんて、なんていい仕事なんだ!」そして保育士を目指して専門学校に通うのです。

 

権田さんの一言

宗岡さんが福岡の専門学校に通っているとき、同じ港町出身の権田さんは宗岡さんの父のもとで漁師の修行をしていました。そのとき地元での飲み会の席で、宗岡さんは権田さんから言われた一言を今でも覚えていると言います。「『共進丸のことは俺に任しとき!』って言われたんです。お酒も飲んでたし、本人は覚えてるかわからないんですけど。その言葉にぐっとくるものがあったのを、今も覚えてます」

保育士になろうと思っていたものの、祖父も父もしていた漁師。姉と妹に挟まれて長男の宗岡さん。「僕が継がなければ跡継ぎがいない状態です。漁師という選択肢は、頭のどこかにはありました。けれど父は一度も漁師になれとは言わなかったんです。工業高校に行くにしても、専門学校に行くにしても、『なんで漁師にならないんだ』とは言わなかった」

それでもいつでも漁師になれるようにと、宗岡さんは専門学生のときに船舶試験の免許を取得します。

 

いつも応援してくれている母が

保育士の面接では園長先生に正直に想いを伝えました。「家業が漁師なので、何年後かはわかりませんが、継ぐ想いがあります」と。1歳児のクラスをもち、その子達が卒園するまでは保育士をしようと思っていましたが、ある日母から声がかかりました。

「ちょっと戻ってきてくれんかね」

「母は高校に行くにしろ、保育士にしろ、『あんたの人生なんやけん、いいっちゃない』とずっと自分を応援してくれていました。そんな母が、初めて戻ってきてほしいと言ったんです。保育士としては1年しか勤められなかったけど、漁師になることを決めました」

 

世代交代は突然に

漁師になって11年目の一昨年の夏、共進丸の船長をしていた宗岡さんの父が沖で倒れます。急なことではありましたが、その翌日から宗岡さんは船長になったのでした。

「船長になってからは1年半。今はまき網の7隻をまとめる船長をさせてもらっています。あがきながら、頑張っています」

保育士の資格をもつ漁師の船長。一つひとつを噛みしめるように、両親への想いをはせながら語られた言葉からは、これまでの環境に対する感謝があふれていました。

 

厳しい漁師の現実

カウンター越しに語らう

 

権田さんは年々厳しくなる漁業の現実を肌身で感じるといいます。

 

負のスパイラル

「漁師になって19年目になりますが、まず魚の数がどんどん減っています。加えて、売れなくなってきていますし、値段も下がっています。漁師からすると“獲れない、売れない、安いで、負のスパイラルに陥っている状態。2030年までには漁業は滅びる、という学者もたくさんいます」

温暖化の影響で魚が北上しており、近海で獲れていたものも遠くまで行かないと獲れないし、その量も少ない。燃料代ばかりが上がり、以前は4割ほどあった利益率も今では1割を切るのだそう。「燃料代だけで1回沖に行くのに200万くらいかかります」という言葉に参加者の顔が引きつります。

 

メディアの情報とは異なる現場の声

「メディアの情報では『一次産業従事者の漁業者が減っているから増やさなきゃ』と言われたりもしまけど、僕自身としてはもっと減っていいと思ってます」。その言葉に「えぇー」とどよめきが。なぜなのでしょう?

「漁具の発明や、漁船が新しくなっているので漁師一人あたりの漁獲量が増えているんです。漁師は今の半分以上減らないと、みんなに行き渡りません」。これには納得。昔はマンパワーを主戦力としていた部分も、機械化が進むことで効率化されたのでしょう。また漁業に携わる人が多すぎることも問題であると権田さんはいいます。

「獲れた魚を港町だけではなく日本、または世界に広く流通させたいがために流通段階が増えました。今は一般消費者に行き渡るまでに6つも段階を踏んでいます。その過程で一部が儲かってそのしわ寄せが他のところに行く、ということが現状起こっているんです」

 

「乱獲」の問題

魚は人間が獲りすぎると減ってしまいます。そして再びもとに戻るのには2、3年はかかるのだそう。鐘崎で獲れる「トラフグ」など、鐘崎の漁業では一定の水準に達していないフグは獲らずに海に戻すことをルール化していますが、その水準は地域によって異なるそう。

「ここでは獲らずに海に返しても、よその地域、または個人などルールのない環境下で漁をしている人は構わず獲ってしまいます。乱獲について一部が問題視していても、全ての漁業従事者がその解決に向けて同じ方向を向いているわけではないのが現状です。まとめるのは難しいですね」

 

漁師に明るい未来はある?

話を聞けば聞くほど厳しい漁師の現状に参加者も不安が拭えません。「漁師に明るい未来はあるんでしょうか?」という質問に、権田さんは力強く言います。

「どうすればいいかわからない、という状況ではなく、やるべきことはわかっているんです。漁業はこうあるべき、というのも全て見えているので、あとはそこに一歩一歩近づくだけですね」

 

LiVE×LiVEsで生まれる交流

今夜もこんな素敵な出会いがありました。笑

 

LiV✕LiVEsでは普段なかなか知り合うことのできない人と交流できるというところが一夜店長に喜ばれています。今回はなんと、福岡市の魚屋の店長が参加していました。前回参加した女性が魚屋でバイトをしており、「次回は漁師の話!?それは店長を連れてこなきゃ!」ということで、実現したのだそう。

「鐘崎の漁師さんへ」ということで本を寄贈いただきました。行平さん、ありがとうございました!

 

他にも「魚で、まちづくり!」という本の著者で大学の地域共創学部の講師の参加も!直接漁師さんから生の声が聞けるということで、店内はいたるところで賑わっていました。一夜店長の二人もカウンターから出て参加者と一緒にいろいろな話ができたようです。

 

生き残っていくために

農地と違って明確に線引できない海での乱獲や、ある種の魚だけを獲らないことで乱れてしまった海の生態系の問題など、課題は山積みです。それでも、これからの漁業を担う彼ら若い漁師は決して諦めていません。

「この時代、この魚がどういう獲り方をされてどういうふうに自分たちのもとに届いたのか、それを踏まえて誰から買いたいのかを選べる時代になったんじゃないかと思います。自分たちのそういう想いや行動を発信していくことが、自分たちが生き残れるかどうかにかかってくると思っています」

今後も彼らの活動に注目していきましょう!

宗岡さん、権田さん、ありがとうございました!

 

取材・文・写真:執行沙恵

※この記事は2019年LiVE KiTCHENで毎月開催されていたイベント「LiV×LiVEs」のレポートを転載したものです。

執行 沙恵
記事を書いた人の情報
執行 沙恵
MOKでは主に記事作成を担当。1986年福岡市出身、宗像在住。市民活動・NPOセンタースタッフ兼、フリーでデザイン/ライターも。臨床検査技師として病理検査室に勤務のち、金融機関で4年営業職を経験しコミュニケーション力を鍛える。NPO法人福岡テンジン大学との出会いをきっかけに自分の住む「まち」との関わり方を考えるようになり、縁あって宗像市の市民活動を支援・コーディネートする現職に落ち着く。2020年に息子が生まれ、海の幸、山の幸、自然環境、さらには人の温かさあふれる宗像の魅力をそれまで以上に感じながら育児を楽しんでいる。育児と仕事をバランスよく楽しむ方法を模索中。 B'zファン歴21年。カラオケと猫とスイーツが好き。
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